Global Gender ジャーナル

僕は、フランスフェミニズム哲学専門としています。 世界中のジェンダー、人種、政治問題をお届けいたします。

アメリカにおける女性トップレス

アメリカにおける

女性トップレスへの視線の分析

 

皆様、ご無沙汰しております。

今日はBBCニュースからトップレスに関して少し分析していきたいと思います。

 

https://www.bbc.com/news/world-us-canada-50592811

 

1)要約

 

2019年9月にアメリカで、ある女性が公共の場でトップレスになった件に関して罰金を命じられました。

 

自身の庭でフリスビーをプレイしていた彼女は、暑かったため上半身を脱いでいた所、近所からのクレームで自宅まで警察がくる事態となります。

その際同席していたパートナー(男性)も上半身裸ではありましたがお咎めはありませんでした。

 

皆様はこの件に関してどう思われますか?

上半身を露出したこの女性が悪いと思われますか?

それとも男性と女性で対応差があることをアンフェアだと思いますか?

 

Amy erbel教授はこの件に関して、旧約聖書よりアダムとイブの描写から性差異は始まっていると述べています。

 

私はこの件についてジェンダーにおける家父長制度の視点から見ていきたいと思います。

 

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2)本当に必要なことは ”男女同じことをする” でなく家父長制の撤廃である

 

率直な感想としては、大衆の議論が重層的でみんなの論点がバラバラになりやすい議論だ。と思いました。

 

社会学的に他者(女性等を)を性的描写で物のように扱うことは、特定の社会的枠組みの文脈も同時に考察しないといけません。

 

少し話はそれますが、、、

 

どういうことかというと ”白人女性” の性的描写と他人種では、本質的に意味合いが大きく変わるということです。家父長的パワーバランスを示す ”どれほど女性や富を保持しているか” とのマインドセットは同時に有色人種のメディア描写の歴史を見ても顕著です。

 

ハリウッドでは、 ”男性的に優れた” 白人男性が他人種の女性を自分の”物”にすること(多々、性的関係を持つことがその意味合いを持つ)が動物としての優越性を示す指数となります。

 

話を戻すと、

 

それと同じロジックは同人種間でももちろんおきます。

 

つまりは白人男性が女性を制することが彼らのマスキュリ二ティの指数となるのです。

 

故に指数(ジェンダーポイントとでも呼びましょうか)を増やすための活動自体がが排他的かつ暴力的なのです。

 

もっと言えば、ジェンダーポイントを稼ぐ目的でなければ、真の意味で男女同じである必要はありません。また、それは多人種間でも同じことが言えます。ただ、これまで人類が歩んできた”男女の差異”や ”人種間の差異” にはリスペクトなどありませんでした。

 

なので、女性専用車両は女性グループが必ずしも男性グループを下種と定義付けて行なっているわけでない以上、 ”男女平等” が ”全て同じであると正義” とは似ているようで違うものだとわかるのではないでしょうか。

 

それゆえ、その”社会的パワーバランス”の差異を是正する必要性は正当性を持つのではないでしょうか?

 

3)じゃあ何がジェンダー的、正義的正解か?

 

上でも述べたとおり、実践的差異はそれほど重要ではないと私は思います。

 

もう少し具体的に述べれば、もし女性が性描写的扱いを受けない社会であったならば、もっとも、男性と同じでなければならないという意味合いは薄れます。(その理想的社会では、多くの男性が女性の胸に全くの性的感覚を覚えず、まるで肘を見るのと同じ感覚を覚えるでしょう)

 

しかしながら、そんな程遠い社会を前提にポリシーメーキングをしたところで現実との乖離は凄まじく、解決には繋がらないと思います。

 

故に女性のトップレスを認める社会というのは、そのプロセスがみんなのマインドセットを是正するかは不確かですが、家父長的シンボルを攻撃するいちアップローチとしては面白いのではないでしょうか。


皆様はどのように感じましたか?